人様の身体そのものから学ぶという学び! 「量と質」、更に「練と習」との勘違い

2015年12月26日 20:50


  • 学ぶと言うことの勘違い
  • 学ぶ、教わるという勘違い
  • 失敗こそ学びの第一歩、大成果
  • 「習い性となる」を乗り越える
  • 自分の自由度が増す開聞
  • 学ぶための量と質の勘違い
  • 人間 ー 人と人の間 ー から学ぶ
  • 天からの有難い贈り物

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  • 学ぶと言うことの勘違い

 

勉強という事で、学ぶということを勘違いしていた。
過去の知識の収集、集積が勉強と思っていた。
だが、同じ時期、同じ学びの場を共有していても、その中で、勉強ではなく自分なりの学びを学び取れる人たちがいることも薄々気づいていたが、明確には気づいていなかった。
魚を取ってもらい、その魚を釣る人を追い求めるか、自ら釣りさらに魚の生態を学ぶためにその学びの場を提供してくれる人の元で、それを自ら学ぼうとするか。
ただ知識、体験【結果】を有り難がるか。その結果を必要時に必要なだけ自分で得られるような学び方を学び自分のものとするか。

自分に他から何かを付け足すか。自分自身の自由度を広げられるように自分を開くか。

  • 学ぶ、教わるという勘違い

 

練習、稽古で教わるつもりでいる限りは教われない。学べない。身に付かない。練習、稽古で、課題は与えてもらうことは出来る。あるいは、手取り足取り、言葉で懇切丁寧に説明、解説されて瞬時に新たな自分に出会える嬉しい瞬間もある。が、しかし、それで学び取り、身に付いた事には、ならない!
学ぶとは、課題、手がかり、足がかりを元に、自分でとりあえずやってみて、失敗し、その失敗を元に、仮説を立て、実験計画を立て実践し、その結果を、さらに次の試行錯誤と仮説検証実験につなげていく遊びである。

  • 失敗こそ学びの第一歩、大成果

失敗はうまくいかないことの発見であり、大成功!

しかし、問題は、その実験をきちんと思い切り思い知る。その意味をしっかり納得し、身にしみこませることだ!
納得しないとまた同じ実験しかしない。
時間と労力の無駄だ!
だが、その時間と労力の無駄も必要なようだ!
一回で納得出来たら、幸いであり、そういう人もいるようだ!

  • 「習い性となる」を乗り越える

しかしながら、習い性となっていることに関すること、身体の変容実験は、なおさらなかなか一筋縄には行かない。何しろそれが今の自分になってしまっているから!
人は人、自分は自分、人はどうでもやはり納得するまで、その身体変容の失敗実験を繰り返すしかない。それしかできないのだから!
でも、自分なりに諦めずに失敗を繰り返し続けていると、矢張り徒労感、疲労、無力感、やる気の消失、倦怠・虚脱感などで、もう嫌!という感じになる。
が、そこ。そここそ、しめしめだ!

 

 

確かに何をやってもうまくいかない。もうだめと言うあきらめの極地に達して観念する。
でも、その観念した時こそ、練習、稽古、学習を継続すると、面白いことが起こるようだ。

 

これまで、見えず聞こえず言うに言えなかったことが、見える。聞こえる。言えるようになる。

瞬間に!

パッと!

自分で気づく。閃く。発見する。

言葉としては、先人、先達の言葉と同じかもしれないし、オリジナルのイメージでオリジナルな言葉として出るかもしれない。もちろん、先達が言っていること、見せてくれるものとは、違うかも知れない。

しかし、明らかにこれまでの自分とは違うレベル、次元の自分に、自分で出会える。

変容、変身、切り替わりその開聞は、瞬間!

  • 分の自由度が増す開聞

知覚、認知そして行動が変わる。

誰かに何かに変えてもらうのではない。

自分自ら変わる。変われる。変わってしまう。

そうなると自分を変える自由度が変わり、広がるようだ!

自由になる。思考が広がり、発想も自ずと広がり、勝手に次のアイデアが湧いてくる。

爽快!

  •  学ぶための量と質の勘違い

「量と質」ということも勘違いしていた。量は、仮説も何もなく同じ失敗実験を何度も繰り返すことではない。目的実現のための目標を達成する新たな仮説検証実験を次々と積み重ね、味わい楽しむ。無理も無駄もない。新たな楽しい実験君遊びとその結果の連続、流れだ!
その結果、ある瞬間「質」的転換が起こる。 新たな自己を練り、出会える「練」も必要。開けば、瞬時、瞬間! しかし、開閉が自由自在な自由度の高い自分になれる様な「習」には、上記の「量」とその結果の「質」的変換が必要!  日々新たな仮説試行・思考実験こそ楽しみであり、成功!

  • 人間 ー 人と人の間 ー から学ぶ

新たな自分と出会い新たな自由度を獲得するためには、相手がいると大変有難い。
教える教え合うのではない。
ちょっと前までは、相手がいると、学び合えてよいとも思っていたが、決して過去の体験、知識を学ぶのとは違う!実験の相互モルモット状態?!
実験側にもなれるし、被験者側にもなれるし、観察者にもなれる。

 

それをお互いのその時々の感覚を通してお互いに身体から学べる。
身体の言っていることを聞く耳を育てる訓練をして、聞こえ始めると勝手に理解が進む!
決してうまくいった状況ばかりでなく、かえってうまくいかないからこそはっきりとその失敗の原因が想定される場合もある。
その刹那刹那の感覚を知覚することから学ぶと言うか、感覚を知覚すると開かれる。


求めよ、さらば、聞かれん!開かれん! 
知覚し、認識し、考えも行動も変容出来る。
人様がいるからこそ、自分という人間の自由度を広げられるようだ!

  • 天からの有難い贈り物

 

一番のプレゼントは、自分あるいは他の身体から聞こえるものが聞こえやすくなり、直接の接触のみばかりではなく、空間知覚、認知も、レーダーの有効範囲が変わる様に、集中と拡散のチューニングの自由度が広げられるんだと身を持って実感されたことか!

自分の知覚さらに意識も、必要に応じてより広げられる、開く。そして、一点に集中し過ぎ、固着、執着しなくて良いと安心して思える。

 

 自分が居なくなり、視線が泳いだり、彷徨ったりしていた自分の状況も自覚でき、落ち着ける感じ。

自分のありよう次第、視線も結果!

やはり、感覚、知覚、認知、運動(思考、行動)の循環

元々、人間としての私にあるものが、やはりあるんだと気づけた有り難さ!

失敗の 意味が開けて 肝据わる


                            和真クリニック 健康教室 スーラク・節無し倶楽部飛翔

 

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